kitunoの歴史掲示板

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聖徳太子  投稿者:???  投稿日:2008年 8月13日(水)19時00分9秒   返信・引用
  聖徳太子の活躍した時代はいつですか?  

日本語の源流/地名考古学  投稿者:今井欣一  投稿日:2008年 7月21日(月)13時31分38秒   返信・引用
  はじめまして、地形図に載る地名を収集・分析して、縄文・弥生時代の言語活動と歴史を探索するサイトを運営しております。HPに『縄文・弥生の地名』『地名考古学』『倭語の法則』『温故知新・川名の起源』『地名の由来/大阪環状線、山手線の駅名、山名の起源』『律令時代の日本』の全文を降下しております。 宜しかったら、ご来訪ください。

http://www.imaken.biz/

 

私説公開  投稿者:石垣眞人  投稿日:2008年 7月17日(木)14時40分36秒   返信・引用
  「平成の黙示録」という表題の私説を公開しています。
http://makoto-ishigaki.spaces.live.com にアクセスしてください。

http://makoto-ishigaki.spaces.live.com

 

間人皇后って?  投稿者:歴史は欠点  投稿日:2008年 4月14日(月)16時33分4秒   返信・引用
  穴穂部間人皇后という人は 天智天皇の妹と 聖徳太子の母と 二人存在していたのですか?

松本清張氏の 天皇と豪族 を読んでいるときに 奈良に旅行にいって 聖徳太子のお母様の名を初めて知りました。間人皇后は孝徳天皇の皇后のはず・・・・


学校でお勉強をする年頃には 全く歴史全般に興味がもてず 何もわからないですごしてきました。

お馬鹿な質問で申し訳ありませんが よろしくお願いします。
 

常陸国風土記  投稿者:わたなべけん  投稿日:2008年 1月26日(土)11時14分51秒   返信・引用
  私が作った詩です。何度かKitunoのHPを拝見させて頂きました。
ひたちの里へ(1/3)常陸国風土記
(1) 少年時代(おもいで)の 宮田川(かわ)(助川)*は
今日も せせらぎの調べ 川風(かぜ)に舞(ま)う
橋のたもとで あの娘(こ)の瞳(ひとみ) 涙(なみだ)色(いろ)
(君は 胸の痛(いた)みを 聞いたけど)
群(むれ)をなす 鮭の遡上(そじょう)は 現(うつつ)の夢か
1300年(はるか かなた)の 四季(とき)は去り
いつ回帰(かえる) 心(こころ)躍(おど)る ひたちの里へ
 
    (管理人) 返信が遅くなってしまい、申し訳ありません。
HPを訪問してくださり、ありがとうございます。
常陸が故郷なのでしょうか。

常陸は、海あり山あり、とても自然に恵まれたよいところです。
ここに生まれて本当によかったと思います。
 

倭や倭人について  投稿者:hn2602  投稿日:2008年 1月 2日(水)09時37分49秒   返信・引用
  考察されるなら、列島外の「倭」「倭人」或いは「倭山」などの文献上の問題の他に、分子遺伝学や言語についても考察が必要だと思います。

大変難しい問題ですが、kitunoさんのお考えを拝聴するのを楽しみにしています。
 
    (管理人) 分子遺伝学や言語については、hn2602さんの考察を楽しみにしてます。^^;
今まで私が眼にしたhn2602さんの考察もファイルしてあるのですが、私にはちょっと難しくて^^;

最近、倭国についての新しい本を購入したので、読み終えたら感想を書き込もうかと思っています。
 

あけまして  投稿者:kituno  投稿日:2008年 1月 1日(火)22時26分50秒   返信・引用
  おめでとうございます。

今年もよろしくお願いします。
 

明けまして  投稿者:hn2602  投稿日:2008年 1月 1日(火)01時10分4秒   返信・引用
  おめでとうございます。
本年も宜しくお願い申し上げます。
 
    (管理人) ご丁寧にご挨拶をいただき、ありがとうございます。
倭や倭人について、今年も考察を深めたいと思います。
今年もよろしくお願いします。
 

Re: 弥五郎どん  投稿者:nick  投稿日:2007年12月16日(日)18時55分53秒   返信・引用
  > No.1433[元記事へ]

Minstrelさん,Kitunoさん、こんばんわ。

私古文書を見るまで
余り興味が無かったのですよ。

古文書に、当地に弥五郎を祭祀する
神社があると。。
それも4箇所もですよ。
驚いて調査を。。

そして父と弥五郎祭り見物に。
この飫肥の弥五郎でやっと
3兄弟全部を。。
嬉しかったですね。

この弥五郎祭りは11月3日と
23日に開催されます。
昔の「放生会」
現在では「お浜下り」に当たります。

どうして「巨大人形」なのか仔細は
よく判りませんが、
一応私の考察を次に掲載しています。

歴史探訪==>>弥五郎とは?

■弥五郎の長男
都城市山之口「園野神社(旧的野正八幡)」

http://hayato.com/

 

弥五郎どん  投稿者:Minstrel  投稿日:2007年12月15日(土)20時52分25秒   返信・引用
  結構興味あります。
ほとんど知識はないのですが、
弥五郎どんのルーツを辿ると、隼人とか、ひょっとして古代史にまで関係があるのではないかと思ったりして・・・。
巨人伝説も各地にありますし。
 
    (管理人) Minstrelくん、お久しぶりですね。
どうしているかな〜って思っていたら書き込みがあったので、とてもうれしく思いました。

南九州の隼人たちの血が今に受け継がれているのでしょね。
 

11/23:日南の弥五郎祭り  投稿者:nick  投稿日:2007年12月 5日(水)21時51分56秒   返信・引用
  遅まきながら、日南市飫肥城下の田上八幡で行われた
「弥五郎」見物に。
最高の祭り日和、のどかな祭りでした。
これで悲願の3兄弟を。
映像アップしてあります。お暇な時どうぞ。

http://hayato.com/

 
    (管理人) nickさん、お久しぶりです。
書き込みをありがとうございます。
我が家の2台のパソコンがほぼ同時に壊れてしまったり、椎間板ヘルニアになって椅子に長時間座れなくなってしまい、すっかりご無沙汰してしまいました。
「弥五郎」というのは、どういうお祭りなのですか?
 

やった!!  投稿者:kituno  投稿日:2007年10月20日(土)00時11分34秒   返信・引用
  HPの更新が可能になりました!!

http://blogs.yahoo.co.jp/kituno_i

 

掲示板を復活させてました。  投稿者:kituno  投稿日:2007年10月18日(木)21時43分27秒   返信・引用
  しばらくの間、HPの更新ができませんので、トピックで話題になったことなどは、ブログにまとめたいと思います。

よろしくお願いします。

http://blogs.yahoo.co.jp/kituno_i

 

どうにか  投稿者:kituno  投稿日:2007年 8月31日(金)22時24分4秒   返信・引用
  ノートパソコンを自分で使えるようにすることができました。
今回のパソコン故障は、とても勉強になりました。

himikoさん、初めまして。
書き込みをありがとうございます。
書き込まれたことは、何か古史古伝を参考にされたのでしょうか?

邪馬台国については、大和岩雄説に填っています。
 

武埴安彦!?  投稿者:hn2602  投稿日:2007年 8月26日(日)10時24分52秒   返信・引用
  kitunoさん復活おめでとう御座います。

狗奴国山城説ですか?
音韻的には、「k*n*」国であれば問題は在りませんが、「方向」が違いますが。
「邪馬台国近畿説」をとる場合、方向に関しては、「東」と「南」、「西」と「北」は、相通じている、あるいは混同されたと考えるのが前提になりますが、『魏志倭人伝』で邪馬台国の南、『後漢書倭伝』で邪馬台国の東、と書かれた「狗奴国」を、「邪馬台国」の「北」に求めることは無理だと思います。
 

古代人の精神世界  投稿者:himiko  投稿日:2007年 8月26日(日)08時56分33秒   返信・引用
  高天原は実在の場所ではないだろう。
古代人の精神世界を表している。

高天原(現世を支配する世界)

葦原中国(現世)

黄泉国(死後の世界)

で、皇室神話では、出雲王朝に対する革命を正当化しないといけないわけで、
皇室は高天原(現世を支配する世界)から
出雲(現世の王朝)を倒したことにしないといけない。
しかし、皇室神話に出てくる皇室の祖であるオシホミミの名称は
出雲神話に多く登場するような名称の特徴であり
どう考えても、皇室の先祖は出雲系と関係が深かったように思える。
出雲王朝の臣下だろう?皇室の先祖は。
 

記紀の正規の年代  投稿者:himiko  投稿日:2007年 8月26日(日)07時50分42秒   返信・引用
  任那倭宰とは、今で言うところの在韓米軍司令官みたいなものだろう?
宰は、武官とか軍司令官のことだから。
中国の南朝に対して、倭の五王は、
半島の軍事管轄権(安東大将軍の職)をくれと主張していたわけだし。
倭の最大の目的は、伽耶にある鉄利権の独占。

伊勢神宮の伝承は、アマテラスは斉(中国山東省あたり)から
米を持ってきたという伝承がある。
ここ5年の遺伝子学の研究では、日本の米の遺伝子は、中国から直通で来ており
それは新しくても3200年前ぐらいまでには遡れることが分かっている。
そのことを大枠に神話化したものだろう。

そして、邪馬台国の卑弥呼とは、大和国の媛命(ひめみこ)のことであり
この女王は、ヤマトトトヒモモソヒメ(孝霊天皇の皇女)だ。
狗奴国(このこく=最近の音韻の研究で中古音でこう読むことが分かっている)は
許乃国(このくに)のことであり(山城国風土記逸文だと、山城の宇治の辺り)
狗奴国の男王・卑弥弓呼=彦命(ひこみこ)で、
武埴安彦命(孝元天皇の庶子)のことだろう。
また、狗奴国の官は狗古智卑狗といい、魏略逸文のほうでは拘右智卑狗と書いてある。
どちらが正しいかは分からないが、
長い間(今の魏志は12世紀に誤写されたものが最古)に、右という漢字が擦り切れて、
誤写されて古になった可能性が高いように思う。
上古代の日本は母音を続けることを嫌うという説もあるが、この漢字を書いたのは
倭人の発音を聞いた中国人の解釈だから、中国人にはそのように聞こえたのかもしれない。
で、拘右智卑狗は河内彦のことだろう。
記紀によると、武埴安彦命の生母は河内国の豪族の娘であり、
武埴安彦命の乱では、彼は、山城と大坂の二方面から大和国を攻撃している。

日本書紀の崇神治世10年の武埴安彦命の乱は、
魏志倭人伝の247年の狗奴国・卑弥弓呼の乱を表している。
 

兵主神と秦氏  投稿者:hn2602  投稿日:2007年 7月30日(月)17時30分31秒   返信・引用
  兵主神は、シユウのことであるように覚えていますが、中国神話上の炎帝は南方につながるように思われます。
秦氏は、「辰韓」渡来、或いは「秦人」の子孫とすれば、いずれにしろ、むしろ中国の南部よりも、西方や北方とのかかわりが重要視されたはずだと思われます。

私としては前に書いたように、秦氏集団は、Y−DNAのHgO3,特にO3aの細分化された集団(今のところ、O3aには、O3a*からO3a1〜7まであるようです)のどれかであろうと、考えています。
 

今年も法隆寺夏季大学に参加してきました。  投稿者:kituno  投稿日:2007年 7月29日(日)20時05分40秒   返信・引用
  内容はトピックに書き込みますので、読んで下さいね。(*^_^*)

http://www.geocities.jp/kituno_i/

 

秦氏と秦韓  投稿者:しょうこ  投稿日:2007年 7月29日(日)01時25分23秒   返信・引用
  DNAでそんな見方があるのですか。面白いですね^^。一部には否定されていますが、兵主神は秦氏の信仰であるとする見方があります。その兵主神のデザインの大元が、秦韓地方で信仰されていた神の一人である、と(手元に資料がないので、その神の名を思い出せませんが^^;)。法隆寺と関係されると言われる藤木古墳の出土品で、金の馬鞍があるのですが、その意匠が兵主神だそうです。それは藤木古墳の建設に関わった氏族に、秦氏も含まれると言う傍証になりうるかと思います。その神は、秦韓地方の山岳信仰の神の一つであるそうです。法隆寺と言えば聖徳太子、聖徳太子と言えばプレーン秦河勝。太子に逃がされた蜂子皇子が出羽三山の山岳信仰の宗祖となり、河勝が富士の麓で起きた常世虫信仰を断絶しにいったことを思えば、山岳と秦氏も関わりありそうで、面白いです。ちなみに、「偶像に神おらず。森羅万象に神がいる」のが、おそらく秦氏の信仰であったと思います^^。  

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