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私の実家は直系

 投稿者:旧姓 高坂  投稿日:2011年 8月10日(水)22時14分26秒
  初めてお邪魔します
小さい頃から高坂弾正の直系だと聞かされ育ちました。家系図もあります。歴史に全く興味がなくお恥ずかしいのですが、間違いないと思います。大河ドラマが始まる前もディレクターの方から問い合わせの電話もあったそうです。家紋は今まで研究してこられた方の物とはちょっと違いますが、刀もうちにあります。何か聞きたい事のある方は私達は何もわからないので父が元気なうち聞いて欲しいです。
ちなみに実家は金沢です。その前は山形県にいたそうです。それは「何かあったら頼って来い」と上杉謙信に言われて頼って行ったからだそうです。金沢にいるのは私の祖父の転勤によるものだそうです。
歴史に興味が無いとは言え、勉強せねばと色々見ている時にこちらを見つけて、ちょっと興奮してお邪魔してしまいました。
 

子孫じゃないかもしれませんが

 投稿者:元、高坂メール  投稿日:2010年 9月20日(月)21時46分13秒
  初めまして、こんにちは。
今は結婚して苗字が変わりましたが、結婚前の苗字は高坂でした。私の父方の先祖は長野出身だと聞いているので調べている最中です
私は現在日本国外に住んでいるのでなかなか両親に聞けないんですが、来月日本へ一時帰国なので調べる予定です。
昔、高坂の子孫の様なことを聞いた覚えがあります。
では
 

春日家子孫

 投稿者:春日の子孫(三鷹在住)  投稿日:2008年 6月29日(日)01時32分9秒
  こんばんは。初めまして。春日と申します。我が家の過去帳を見ると春日昌信さんが初代で、その直系の子孫だとなっています。昌信さんの次男さんが武田家の禄を離れ岡山へ移住したと有ります。まあ、昔のことだし、住民登録もないので何が正確なのかわかりませんが、そういった記述はこのページにもないので、どうなんだろうと思って投稿してみました。昌信さんの位牌もありますが、明徳寺のものとは戒名が違うようです。過去帳によれば2代目は源右衛門と名乗ったとあります。信玄さんが亡くなって危なくなったので名前を変えて離れたということもあるかもしれませんし、いろんな可能性も有るかと思いますが、岡山に渡ってからは池田藩に仕えていたのは間違いなく代官もしていたそうなので、単なる語り:-)ではなくなにがしかの親族であったようには思っています。どなたか昌信さんの子孫に詳しい方なんていらっしゃらないでしょうか?何かヒントでもあれば探ってみようかなと思っています。初回からすいません。失礼します。  

高坂公家臣小池主計正胤

 投稿者:小池主計  投稿日:2008年 2月 6日(水)14時20分48秒
  初めてメールします。
私の父方の実家が高坂公の家臣小池主計の子孫です。小池主計は高坂公が亡くなった際、明徳寺にて、殉死をしております。追腹を切ったようです。菩提樹は明徳寺で、先代の住職からの家系図を頂き、その写しが家にあります。その小池家は父親の従兄弟が継いでいます。
実家の仏壇には、高坂公の位牌も収められています。
父の父(私の祖父)は、高坂公を誇りに思い、父の兄(私の叔父)に憲徳院殿の一文字を頂戴して、小池憲一と名付けた程です。残念ながら祖父も叔父も東京大空襲で、亡くなっています。その空襲で生き残った父は篠ノ井の小池家に戻され、そこから養子に出されたので残念ながら小池は名乗っていません。以前お墓の建立をした際、高坂公の戒名と小池主計の戒名を墓石に刻んだ程、やはり、高坂公と小池家には誇りがあるようです。
信憑性はわかりませんが、私の知っている小池家の話をさせてもらいます。
小池家は、新羅三郎義光を祖とし、山梨県北部の北杜市(旧高根町)辺りの豪族で、小池の郷を治めており信玄公に仕えたようです。津金衆(信玄公先方衆)とも同族で、家系図を見ると津金美濃守胤時などの名前も出てきます。私の会社に津金氏の子孫の方が居り、上杉公を攻め、中野市(旧豊田村)まで、信玄公が来た際、そこに残った方のようです。また、小尾氏なども同族のようで、武田家滅亡後は、徳川家に仕えた方もいるようです。小池家は鯖江、秋田にも支流が流れたようです。小池主計正胤は、小池筑前守などとも近い関係にあったようです。
小池主計は、信玄公の小姓衆となり、二十衆、横目付(小姓衆)を務めたようですが、信玄公から高坂公に付くように命ぜられ、小諸城入城の頃より、行動を共にしていたようです。その後高坂公が亡くなるまで、高坂公側近として高坂公の下で働いていた模様です。
父と家族は長野市に居りますが、私は、仕事の関係で昨年末より松本市に居ります。松本に、村井と言う地区があり小池神社があります。そこも小池家ゆかりの地のようです。
先日、近衛龍春さんの「高坂弾正」を読んで、高坂公の活躍とご先祖様の名前が出てくるたびにうれしく思いながら拝見しました。
私も高坂公家臣の末裔の一人として、高坂公には大変興味があります。長野にお出かけの際は、是非お話をさせて頂ければと思います。
メールってなれていないので、固い内容ですみません。
 

PC復活

 投稿者:高坂晴香  投稿日:2007年 8月 9日(木)14時18分20秒
   こんにちわ。長らく留守にしていて申し訳ありません。毎日暑いですが、お元気ですか?
 『風林火山』は欠かさず観てます。お屋形さまと勘助がお風呂。勘助ばっかり、ずるいなぁ。別な相手がいるのに。家臣が主君と一緒に湯につかることは、実際どうだったんでしょうか。勘助と民部のコンビも漫才のようで、面白かったんですが。民部が出世したので、それまで? 勘助は長いことかけて、武田に士官できたのに、春日ちゃんんは勘助の留守中に近習に大抜てき!勘助の驚く顔、春日ちゃんはどんな思いで見てたのかしら。そういえば、お屋形さまと源四郎くんと春日ちゃんが揃った時。春日ちゃんが「御方さま(三条)の呪では」とぼそっと言ったことがありましたね。私のツボに入って笑ってしまいました。現代の男性のほとんどが、占い迷信に左右されません。占いが載ってるのは女性誌のみ。しかし戦国では、占い迷信当たり前。お方さまの呪いよりも恐いのは・・・。
 トンボになって(?)じぃの魂が戻ってきた、あのシーンはとても泣けました。大河ドラマを見て泣いたことなど無いのに。また「勝ち」を象徴するトンボな所が、更に泣けました。甘板両職が居なくなると、武田も寂しくなりますね。最近、春日ちゃんの姿を見かけません。砥石くずれが終われば、そろそろ春日弾正さま復活でしょうか。エリートコースまっしぐらですね。高坂は何があっても裏切らない、だから川中島の最前線に置く。川中島が楽しみです。

 弾正さまのお墓の石は昭和2年の350回忌の折りに、おそらくまとめられたのかな、と思います。真ん中の石は江戸時代の石なので、私の中では弾正さまの墓石として数えておりませんでした。お位牌ですが「憲徳院殿当寺重興玄庵道忠居士」と江戸期に明徳寺を参拝した人が書いています。今のものと同じものかは不明ですが、私が見た当時に書いたメモには「憲徳院殿玄庵道忠居士」となっています。足がだめになっており、人様の位牌にたてかけてありました。おまけにその前に新しい骨つぼが置いてありました。黒っぽい木に金で字がかかれていたように思うのですが、私が感激のあまり舞い上がり、良く見なかったのかと思います。次回良く確認してきたいと思います!ありがとうございます。
 

高坂のお墓

 投稿者:松代住人メール  投稿日:2007年 4月23日(月)17時10分36秒
  はじめまして晴香様、楽しく見させていただきました。本日も高坂弾正さんのお墓に言っておりました。さてお墓の記述を見させていただきました 高坂さんのお墓は昔明徳寺の境内に二箇所あったそうです。たしか私の記憶が確かなら昭和に入って小池主計の子孫の方と明徳寺さんで一箇所にまとめたそうです なので真ん中のお墓も高坂弾正のお墓だそうです ちなみに高坂弾正の戒名憲徳院殿玄あん道忠大居士(あんは庵のような字・ちなみに明徳寺のお位牌には殿とあんの間に重興が入っています)の憲の字がかすかに見えます。ご参考にしてみてください  

なかなか書けなくて!まとめ書き♪

 投稿者:莉緒メール  投稿日:2007年 4月20日(金)16時01分53秒
  晴香様、こんにちは♪
 雑事に取り紛れ、しばしご無沙汰して済みません!
その間も『風林火山』は欠かさず観て、勘ちゃん・源ちゃん・晴ちゃんの面白世界を満喫しております。いやぁ、お堅いN○Kさんが今年は何を企んでるのか、ミョーに笑えると思いませんか?
まァ、『御誓詞』がらみは全スルーでしょうけどね(笑。春日ちゃんの名前も『源助』でなく『源五郎』に逃げてますし)。
その割に、勘ちゃんやたらと源ちゃんに触るし、晴ちゃんとはおフロでイチャついてるし(えっ?違う!?)。な~んか変!(苦笑)
 元々は晴香様がショックを受けられた『御誓詞』の関係ですが、やはり高坂どのの色んな史実(フィクションかも知れません。私の情報源が当てにならないので…汗)が仄めかすのは、一介の臣下としてあまりにスペシャルな扱いの多さなんですよね。“高坂七不思議”(七つでないかも?)か?
例えばまず、きっかけが「ルックス」か「才気の閃き」か知りませんが、地下人の源ちゃんが突然お屋形様にスカウトされ、最初の『御小人役』から一月もしないうちに何と『奥近習』へ!…だって、家中の若者が羨望する超エリートコースなんでしょ?そっからもうフツーじゃない!!
 次に二十代で『使い番』か?『侍大将』になったのは26歳くらいですね。
また翌年あたりに最初の『城代』赴任。27歳っすか?…やっぱコレって凄いんじゃないでしょうか(でもないですか?わからないんで…)。
それと『御誓詞』的関係が過去にあっても、あの時代の結婚は概ね政略結婚=政治的要素強し、ですから、お屋形様の戦略のため人質(敗将の娘)を娶るんですね…で、高坂(香坂)氏の婿さんになった。そして後の武田のため、臣下となる男児を儲けるべし!と。
すべてはお慕いするお屋形様の望むように生きていく高坂。つまり彼を、世にも“お屋形様好み”に磨き上げたのが、主君の“愛”だったのでは?と思うのですが。
 そうして見返りとして、(真偽の程はわかりませんが)晴ちゃんは通例を破って、香坂の姫を人質扱いしないで、妻として同居させたとか、生まれた二人の子息も甲府に置かず、親元で暮らすのを許したとか?
またこれも曖昧なのですが、何かの事件の後、大方の家臣らが「裏切りません」という誓約書を書かされた時、高坂は必要無いと言われたとか?…いゃ、全部フィクションかもしれないですが…(大汗)。
やはり牡丹芍薬の主のように、晴ちゃんは源ちゃんを特別に丹誠込めて育て上げたんですかね。
 そして最後に僻地の海津城で、“対上杉の守り”という最も困難で厳しい仕事を任せます。それは偏に、高坂の主への一途な信愛と忠節無くしては成り立たない役目でしょう。
だってそんな辺境で、計算高い武将なら、いつ上杉や他の国主に寝返っても不思議は無いですよ!
“高坂最大の不思議”──彼が絶対裏切らないことを、晴ちゃんは心から信じ切っていたんでしょうか?ならば、その確信とはどこから?
やはり?…“特別な立場”?
 信玄葬儀の剃髪と僧形では、あーここに極まった!と感じましたもんね。正に、殿様の死後落飾する“お妃様”ではありませぬか!?
その前、望みながらも殉死を思い止まったのも、晴ちゃんの遺志に従ったから。死よりも辛い“生き続ける役目”を負って…。『純愛』、それしか表現しようがございません!!
 ──めっちゃ長くなり済みません!これらが、私の“高坂萌え”のあらましです。
晴香様と共感できれば嬉しいです~~。
なので、TVの高坂とも小説の高坂ともまた別に、晴香様も引き続き“オリジナル高坂”で小説世界を広げていって下さいね!楽しみにしています♪
 

帰陣

 投稿者:高坂晴香  投稿日:2007年 4月 7日(土)22時26分59秒
  こんばんわ。 “高坂バイブル”と言っていただき、有り難いことです。私も高坂家や武田家とは縁もゆかりもありません。
 お屋形さまと高坂にハマったのは、某小説からでした。『誓詞』の存在を知った時は、まだ学生で大好きな彼らが...だった...と本気で一週間悩みました(笑)。悩んだ結果、お屋形さまと高坂の主従が好きなことは、何一つ変わりませんでした。そういうものだと、納得しております。お屋形さまの期待に答えようと、忠義一筋努力を重ねる春日ちゃんが、好きです。牡丹芍薬を育てるように目をかけ、成長を見守るお屋形さまも素敵。私の小説、共感下さる方が居られ、励みになります。こんな高坂弾正だったら良いなぁ、彼ならどう考えていただろうか、と空想するのは楽しいですよね。
 近衛龍春さんの『高坂弾正』は、まだパラパラめくっただけですが、かなりお調べになられているようですね。大河の田中源五郎くん、猛者ぞろいの武田のオアシスになりそうですね。
 久々に甲府へ行ってきましたら「高坂弾正屋敷跡」の印が立っていました~。
 

高坂バイブル

 投稿者:莉緒メール  投稿日:2007年 4月 2日(月)15時42分32秒
  晴香様、こんにちは♪
こちらのサイト様を“高坂バイブル”と頼らせて頂いている莉緒です。
不肖ワタクシは、高坂家とは縁もゆかりもありません。正真正銘ただのファンです。
例の『誓詞』からノメったもので…当然“そっち系”からのアプローチと白状せねばなりませぬ。晴香様のお怒りに触れましたら、どうかお許し下さりませ~!!
 が、しかし古来武士道と男性の○道は、切っても切れぬ関係と研究されてますし、そこに戦士の結束や忠義の倫理観が生まれたというなら…やっぱり丸ごと理解するのがよろしいかと。
されば生涯ひたすら“お屋形様”への純情に生きた高坂と、彼を信じ続けた信玄どのを、私も“究極の君臣”と讃えたくて…。
 晴香様の小説でも、高坂どのの一途な心情に打たれ、共感をお伝えしたくなりました。
彼の涙がとても美しく、こちらも泣けました!(“美形中年”好きです~♪是非またご執筆下さい!!)
 さらに驚くばかり膨大な資料の中では、文献を参考にさせていただき、井沢版、斎藤版、美保版を読んでおります。また近衛龍春さんの『高坂弾正』も読破しました。
それぞれのキャラがそれなりに面白いですね。
且つまた我が“オリジナル弾正”のイメージも加味しながら、武田浪漫を彷徨うこの頃。
 これからは、ブームまっただ中の大河『風林火山』も追いながら、“高坂な日々”を共に過ごさせて下さいね♪
 因みに大河の田中源五郎クンは初々しくも凛々しく、未来の“美貌の寵臣”へ成長が期待されます。
 

ようこそ

 投稿者:高坂晴香  投稿日:2007年 4月 1日(日)21時42分38秒
    こんばんわ。アンケートお答えいただきまして、ありがとうございます。初めまして、こちらこそよろしくお願いいたします。私も武田にハマって10余年ぐらいになりそうです。私の場合は誓詞にショツクを受け、否定するべく、色々な解釈を読んでいるうちに、すっかり慣れてしまいました。お屋形さまと源五郎くんの仲を否定しようなどと、良くも考えたものです(笑)。原作「風林火山」では高坂弾正は武将らしくない・・・というような書き方をされていたので、心配でしたが、先週の登場を見たところ、なかなか良さそうですね!田中幸太朗さんの今後の演技に更に期待大です。早く近習姿が見たいものです。  

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